影の境界線 - 異世界干渉編

33 -来訪

 窓がガタガタと振動を始める。

 普段は聞かない異質な轟音ごうおんが遠くから近づいてきたからだった。月光国の城は音の発生源からはまだ随分、離れている。そこからでも窓が震えるのだから相当、大きな音なのだろう。

 この世界には音量を測り、デシベルという数値で表すような仕組みは無いが、数値化するのなら100デシベル以上あるかもしれない。

 クレアが窓から外を見ると、遠くに明るくオレンジに光る球体が見えた。
 側にいるタロウもまた窓を見ている。

「これは…攻めてきた、と見ていいわ」

 覚悟を決めたようにクレアが言った。
 タロウはクレアの横顔を見て無言で頷く。

 攻撃がどういった種類のものか正確に把握は出来ないものの、炎の玉が猛スピードで飛んできた、といった感じだ。その証拠に窓からは薄く熱を感じる。

 位置から考えると、城の高い位置に当てるつもりだろうか。

「先ずは城を大きく破壊し、威圧する気のようね」
「その後に何か仕掛けてくるのでしょうか?」

 重い空気の中、そこで会話が途切れた。

 他の官吏は先に地下室へ避難をしてもらった。
 そこに内側から鍵をかければ中の者が逃げる時間を稼げる。

 しかし、便利係の嫌雪けんせつは残ると頑として譲らず、今も正門脇御用口に待機していた。

「不安になった民や、あの国の使者が来るかもしれませんからね」

 そう言って地下への避難を拒むと、自分の仕事場へ戻っていったのだ。

 不安気なくそれを言える嫌雪は、豪胆だとタロウはその時心底思った。

 ———クレアは窓から目が離せない。

 窓から見える炎の球体は目視で10センチくらいに見えていた。

 11センチ……12センチ……どんどん、大きくなる。
 ぶつかる迄に近づいたら、どれくらい巨大なのだろう。

 落ち着いて見えるが、クレアの心の中にも不安は渦巻く。

「タロウ、あなたも避難していいのよ?」
「ご冗談を……私が先輩を置いて逃げるわけがないでしょう」

 熱を纏う球体は既に目視で60センチほどの直径に見えている。
 それでも、まだ距離がありそうなのだから、大きさは相当だ。

 僅か数秒でもう、窓一面がオレンジ色で覆われ、眩しい光が部屋を照らす。

(これが直撃したら城の上部に当たったとしても、無事では済まないわね)

 クレアもタロウも口にしないが、死の覚悟を決めている。

「2人ともちょっと、こっちに来てくださいっす!」

 不意に聞こえた声に驚き振り返ると、そこにはティールとドラリンが居た。

「どうしてここに?」
「今はそんなの後回しっす」

 窓を背にティールのほうへ向かう。

「僕の体が小さくて恐縮っすが手を繋いで輪を作って欲しいっす」
「どういうこと?」
「ここ4人の気配を徹底的に消すっすよ」

 実はティールの隠密スキルは凄い。

 例えば、物を失くしそれを探している時。
 目の前にあるのに気付かない現象が人には起きる。

 目の前に在るのに、存在に気付かない。
 ティールはそれを自分の意思で引き起こすのだ。

 能力を徹底的に探知へ振り切っている者や、凄まじい魔素値を持つ者なら、それも見破るかもしれない。しかしティールのそれは、ティールを作った人譲りの力を持ち、簡単には見破れない。

「ここで手を繋いでいて、あの攻撃はどうにかなるんですか?」

 タロウが冷静に問うが、その声は僅かに震えているように聞こえた。
 それに対し、いつもと全く変わらない、のんびりした口調が返ってくる。

「あの球体を僕の力でどうにかするのは無理っす」
「……」
「……」
「……」

 クレアもタロウもドラリンも無言でティールを見た。

 そんな中、窓どころではなく建物が大きく振動をしている。

 もはや窓は眩しい光を発するだけ。
 ガラスが割れないのが不思議なくらいだ。

 どこかの世界では隕石が落ち生命がほぼ絶滅したと言う。その隕石がどれほどの大きさなのか、クレアに知る由もないが、仮にそれがここに落ちてきたのなら、こういう音だろうと思えるような轟音が耳に刺さる。建物の振動もまた、凄まじい。

 クレアもタロウもドラリンも目を固く閉じ、体を硬くする。

 ———ここで消し炭になるのだろう

 ティール以外はそれを覚悟している。

 けれども、建物が崩れる音も気配もしなかった。

 溶岩のようなものが窓の外側を流れている。
 室内は熱いが耐えられないものではない。

「……どうなっているの?」
「手はまだ離さないでくださいっす」

 手を離し、窓に近寄ろうとしたクレアに注意をする。

 外がどうなっているか気が気でない。
 街はどうなったのだろう?
 城の状況は?

 ———嫌雪は!?

 城上部に攻撃を受け、熱に包まれている時とほぼ同じ頃。
 嫌雪の目の前には1人の来訪者がやってきた。

 とても整った顔立ちで所謂、美形である。
 綺麗に輝く金髪で、肌の色は透けるような色白だ。
 瞳の色は赤に近い紫で一見、優しい眼差しなのに視線が冷たい。
 スラリとしていて背は高く、おそらく180センチは超えている。
 マッチョと言うには細身だが、筋肉質で鍛え上げられた身体つき。

 手には真っ赤に光り熱を放つ剣を抜き身で持ち、殺気を漂わせる男。

 正門脇御用口には受付の机と椅子がある。
 嫌雪はそこに座りいつも通りの客人対応をした。

「こんにちは、お客人。今日は月光国へどのようなご用向きでいらっしゃいましたか?」

 殺気と熱を放つ男に対し、声の震えもなく堂々と対応をする嫌雪に対し、目の前の男はとても厭な表情を向けている。そして、ここまで来る間に街を燃やし尽くす予定だったのにも関わらず、燃えない街にも酷く気分を害していた。

「何故、この国の建物は私の熱で燃えない?」

 普通の客人は、そんなことを聞くわけがない。

 しかし、それを聞いた嫌雪は堂々と答えた。

「耐火性能を高めているのだと思います」

 実際の所、嫌雪も燃えない理由を知らない。
 正門脇御用口に居る便利係の仕事には関わりないことだ。

「お前は何者だ?」

 目の前の男は苛立ちを隠さず問いかけた。

「私は月光国正門脇御用口を預かり、便利係の役職をいただく者です」

 苛立ちに気付いているが、嫌雪は何も気にせず回答をする。

「私はそういうことを問うているのではない!」

 ついに怒鳴る一歩手前の口調に変わった。

「では、何を聞きたいのでございますか?」

 嫌雪とて怖くないわけではない。
 ただ、あの時に死ぬはずだった命だ。
 それなら新月様の為に最後まで使いたい。
 今更、こんな横暴な来訪者に国を混乱させられたくない。

 恩義に報いる為にも、恥ずかしい最後だけは迎えてはならないと心に誓っている。

 ここで絶命し、例えそれが消滅死であっても悔いはない。

 その男は語気を荒げ嫌雪に詰め寄ってきた。

「何故お前は私の前で、椅子に座って話をしている!」
「ここでの仕事では普通のことでございます」
「便利係とやらは、この私より位が高いとでも言うのか!」
「あなた様の国の位と月光国の位の在り方は異なるので、私には解りかねます」

 目の前の男の苛立ちはもう限界なのだろう。

「エスターゼ・ラニサプ様の次に高い位にある私の前で、何故、こうべを上げていられる!」

 そう言われても嫌雪はその者を知らない。

「エスターゼ・ラニサプ様、という方を私は存じ上げません」

 ここでケプシャルは我慢の限界が来た。

「その名をお前如き下賤が口にするな!」

 剣を振り上げる。
 それと同時にとてつもない熱を放つ。

(これは切られる前に燃え尽きてしまう……)

 交わせないし受け止められない。
 消滅死の覚悟を決め、冷静に思考を巡らす。

 せめて消滅するその瞬間まで、目の前の男から視線を逸らさないと意を決し、眼前の男を見据えた。

 剣に一番近い髪と顔の左側に、凄まじい熱気を感じる。
 恐らく、毛の一部は焼けてしまったのではなかろうか。

(新月様、先に消える事をお許しください)

 その時———

「待たせたな」と聞き慣れた声がする。

 同時に辺りに充満した熱は瞬時に収まり、嫌雪めがけて振り下ろされた剣は声の主に受け止められた。

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