影の境界線 - 異世界干渉編

30 -嵐の前の静けさ

 命喰魚ソウルイーターフィッシュを倒した後に新月丸が始めた作業はここから月光国の各部屋へ瞬間移動テレポーテーションを可能にするためのものだ。

 ここにエニシを刻み月光国のエンと繋ぐ。

 極小さく書いた魔法陣が微かに光り地面が小さくガタガタ揺れた。エニシがきちんと結ばれると一瞬、ごく小さい振動が起きる。どうやら無事に移動の陣を置けたらしい。

 酷死運河の近くにしたのは、ここに近寄る者はとても少なく、都合がいいと考えたからだ。

 発動するかどうかを確かめるべくエニシエンを踏む。

 通常であれば、その時点でテレポーテーションが完了する……のだが。

 薄く光るだけで移動しなかった。

(この川の影響か?)

 再び乗ってみる。
 今度は薄く光ることもなく、うんでもすんでも無い。

 ケケイシだけ踏ませてみたりもした。
 物怪もののけ達だけを乗せてみるのも試す。

 やはり、一切の反応が無い。

「新月様、どうなさいますか?」
「んー…酷死運河クルーエルカナルから少し離れて再び、刻んでみるか」
「それでは僕達ももうしばらく、新月様と一緒っすね」
「よろしくおねがいします!」

 どうやら1人と1匹と2体で、もう少しフリーゾーンを旅する必要があるようだ。

「そしたらケケイシの背に皆で乗って、もう少し走ってもらおう。頼めるか?」
「先ほどより移動可能距離は短いですが、できる限りの最善を尽くします」
「流石に疲れたよな…無理はしなくていいからな」
「ありがとうございます」

 ケケイシは1人と2体を背に乗せ、先と同程度のスピードで酷死運河クルーエルカナルから目的地へ突き進んだ。暫くは足元が湿った土で覆われた酷死運河の影響を受けた湿度の高い地域が続く。

 しかし1時間程、走った所で疲れが見え始めてしまう。本来、これは短時間移動に向きの移動手段だ。体力スピード、そして持久力に素晴らしいケケイシであっても、そろそろ限界が見えてくる。

 限界が見えてきた頃に到達したのは砂漠地帯。湿った土も空気も途中から一気に乾きだす。じわじわと変わるのでは無く1キロ程度の間で一気に変化をするのが特徴だ。そしてハーララへ向かう上で、この砂漠が最大の難関である。

 今まで進んだ距離以上に広大な砂漠地帯で乾いた砂以外、何も無い。おまけに砂漠を住処にするモンスターは結構な強敵だ。新月丸にとって大した敵ではないものの、ハーララへ着くまで力を温存したい今、あまり出会いたくない。

 大きな岩の近くで、新月丸はケケイシに止まるように命じる。
 その岩にエニシを刻もうと考えたからだ。

 岩の上に魔法陣を描く。
 それをケケイシが岩の下からじっと見ている。
 ティールとドラリンは、新月丸の近くで見ていた。

 さっきより良い感じに縁が刻まれたように感じられたが、結果は先と同じ。

(どうやら広い範囲に転移系魔法を阻害するしゅがかけられているな…)

 恐らく、阻害魔法を施したのはハーララのだろう。この砂漠の中央には巨大なオアシスがあり、そこにハーララがある。太古の昔、この広い砂漠に唯一ゆいいつと言える大きな大きな湖を中心に、あの国は作られたのだ。

 水を無償ただで与えたくない、とハーララのは考えている。

 だから簡単に国に入れないよう、様々な防壁で国を囲んだ。それは同時に奴隷が逃げ出さない為でもある。出入国を厳しく取り締まり観光目的に開かれている都市以外、外部の者は行けない。そしてハーララ国民であっても、特権階級以外は国外へ行くのは許されていない。

 湖周辺は涼しく過ごしやすい土地であり、そこが占領される前はこの砂漠もさほどの脅威ではなかったと聞く。だから国内は過ごしやすい気温が保たれているという噂だ。しかし湖の上に街を建造されて以来、砂漠は熱気が凄まじい。

 とはいえハーララの建国はあまりにも昔の事。湖が占領される前の灼熱の暑さではなかった頃の砂漠を知る者は、極限られた数名しか居ないのだが。

 物怪もののけ2体は体の作りが生命体のそれとは違う。
 燃えてしまう程の熱でなければ暑さ寒さに問題はない。

 しかし、新月丸とケケイシは違う。

 新月丸は自身とケケイシの周りに薄く空間断絶を張り、暑さを防いでいた。これをずっと張り続ければ、力の根源である魔素を消費し続けてしまう。新月丸の魔素値はとても高いので、張り続けるのはさほど苦ではない。但し、この先で戦いになるかもしれずモンスターの強襲きょうしゅうがあるかもしれず。

 本来は魔素の節約をしたい所である…けれども…

 魔素の節約、なんて言ってはいられない厳しい環境。

 それがフリーゾーンに広がるザファグ砂漠———

 ———その頃。

 月光国の執務室では王と連絡が取れず、帰還の気配もない。
 不安な空気が一気に膨れ上がり室内は緊張で満ちていた。

 1日に1度は戻ってくると言い、旅立った王。
 そろそろ帰ってきてもおかしくはない。

 予測不能の事態が起きた、と考えるのが正しいだろう。

「止めた方がよかったかしら?」
「あの方は止めた所で強行姿勢で向かうでしょう」

 王をよく知るクレアは、ため息混じりに「そうよね」としか言えない。

 窓から外を見ると、いつもよりやけに静かだ。
 それが「嵐の前の静けさ」に感じられてしまい言葉にはしないもののクレアもタロウも一気に不安になっていた。

「今、国にある軍で一応、街の護りを固めておきましょうか」
「そうですね。城内ここは大丈夫と思いますが街はやや不安です」

 軍に属する兵士や魔導士はまだまだ少ない。
 育成をしているが、満足な人員とは決して言えない状況だ。
 少数精鋭と言えなくはないが、あまりにも少数過ぎるので心許こころもとない。

  神都と揉めるかもしれない今、警戒はしておいて損はなく万が一を考え先手先手で動くのは今の月光国にとって必要だろう。

 ———ケプシャルは神都ハーゥルヘウアィ・ララを出国した。

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