部屋中を埋め尽くす灼熱。
1人の無抵抗な者へ向けられた刃。
怒りと苛立ちで振り下ろされた高熱を帯びた大きな剣は、それを受け止めるに見合わない小さなナイフみたいなものが止めていた。
人を殺せるであろう灼熱もすっかり冷め、何事も無かったような、いつもの室温に戻っている。
「もう少し、早く着ければよかった、すまん」
嫌雪はそこにあらわれた自国の王を見て、どうにもならない感情が湧き上がり涙ぐむ。命が助かって嬉しいのではなく、王がここに来てくれた事そのものが、どうしょうもなく嬉しかった。
「……!お前、どうしてここにいる!!!」
剣を振り下ろそうとした姿勢のまま固まっているケプシャルが怒鳴る。
「そりゃ、お前より早く俺が移動したってだけだろ?」
いつも通りの声色なれど、いつも通りではない何かを感じる。
「俺が居ない間に国に攻め込むってのは、お前の主のやり方か?」
剣を一旦引っ込め体勢を整えたケプシャルは一瞬、困惑した表情をしたもののすぐ、不遜な態度に戻った。
「お前程度に教えてやる必要はない」
「それより、我が主の命令に従います、と今すぐ言え」
「このケプシャル様がお前を御前に連れて行ってやってもよいのだぞ」
ペラペラと話し続けるケプシャルを見ながら、嫌雪に「クレア達が居る所まで行け」と短く伝えた。嫌雪はそれを聞き、小さく頷き裏口から避難する。
その時、ケプシャルに動きが見えた。
嫌雪に狙いを定めた灼熱系魔法を放つ。
「何処までも卑怯なやり口が好きなんだな……」
新月丸は不快感を込めてボソっと呟く。
「お前が大事にしている奴、お前を慕う奴は皆殺しだ!」
炎の玉は恐らく、城に飛んできたものの超小型版である。
当たれば体を簡単に貫通し、周囲の組織を焼き払うだろう。
「ここからではもう、間に合わん!無礼なお前の部下はお前の目の前で焼け死ぬ!」
バカにした笑いを含めた表情で言い放つ。
その言葉通り、溶岩を固めたような火の玉は嫌雪の身体を炎に包む。
「ヒャハハハハハハハハハ!!!どうだどうだ、今の気持ちは!!!!」
しかし———
炎に包まれ、そこで倒れもがき苦しむと思っていたケプシャルの期待は大きく裏切られてしまう。
何事もなかったように裏口の小さな扉を通っていったし、扉自体に焦げ跡すら付いていない。
新月丸は呆れた表情で口をひらく。
「お前さぁ…学べよ」
「はぁ?」
「街だって城だって燃えなかっただろ?」
「!!!」
「俺はな、臣下にも国にも、ほぼ全てに結界を張ってある」
それを聞いたケプシャルは話がすぐに飲み込めない。
ケプシャルの力は自身の王に継ぐ強さだ。
魔素値も相当なもので今まで敵知らずだった。
なのに傷の1つも付けられず、焦げ跡の1つも付かない。
それはケプシャルの魔素値より、遥かに高い魔素により護られている事を示している。
「そんなのはあり得ない!」
ケプシャルは大声で怒鳴ったが、目の前に立つ身体の小さな月光国の王は全く動じない。
「あり得るから、なんにも傷つけられず徒労に終わってんだろ?」
何故だ?
たまたま国を手に入れた一介の只人。
見た感じ、強大な魔素なんて感じない。
体型から見て肉体に恵まれているとも思えない。
「さて……国に攻め込んできた敵を俺は退治する必要がある」
そう言って、手に持っている小さなナイフを腰に戻す。
「お前がこの私を退治?頭を垂れて許しを乞う、の間違いだろ?」
今の所、不利な状況のケプシャルが大きく出られるのには理由がある。
宝剣ナンラーサ。
これの力をまだ、この場では解放していない。
遠くから城に爆炎弾を飛ばしたが、それをここで使うのも可能だ。
勿論、こんな狭い場所で先のやり方をすれば己の身にリスクがある。
攻撃方法は変えるが、似た威力を一個人に向ければ———
ナンラーサの力は強大で膨大だ
「お前、死んだぞ?」
再び剣を構え熱を発し出す。
「さっきのはまだ、ナンラーサの力の極僅かしか発していない初熱」
「ふーん……」
「そのナメた態度を改めよ!」
「いいからそれを全力で使ってこいよ」
目を真っ直ぐに見て言う小さき王<バカ/ruby>に対し、怒りを爆発させたケプシャルは一気に力を放出する。
「お前を即、焼き捨てこの国も女も全てを我が神に献上してやる!」
正門脇御用口の小さな部屋は瞬時に炎に包まれた。
そして今までにない動きで新月丸に攻め寄り、剣を素早く振り下げる———
(これで終わりだ、こんな小さな奴は炭も残らない)
けれども、瞬時に炎に包まれたように見えた部屋に炎は無い。
素早く振り上げられた剣は今や見る影もなく、焦げた木の棒のように床に落ちる。
———そしてケプシャルの両腕と両足は根本から消えていた。
自身に起きた現象があまりに早く、ケプシャルはそれを認識できない。
足も手も失った胴体は、そのまま床に落下する。
体勢を整えようにも腕がなく、背と後頭部を自然落下に任せ殴打するしかできない。
強烈な痛みがケプシャルを襲うが、手足の消失にまだ、気づけていなかった。
ただ、自分を見下ろしている新月丸がひらすら解せない。
「お前が俺を見下ろすな!」
言葉だけは威勢がいい。
それもそのはず、まだ己の状況を飲み込めていないのだ。
せいぜい、足を引っ掛けられるかなんかして、転んだ程度にしか思っていない。
己の身に何が起きたか把握したのは、起きあがろうとして手足を動かそうとしたその時。
「hitouiosgjmofds;guo@nug90rn!!!!」
言葉にならない声が漏れた。
手も足も、あるべき所から消失している。
その根本は真っ黒に焦げていた。
だから出血はしていない。
(どういう事だ、どういう事だ!何が起きている!)
ケプシャルは冷静に考えようとするが思考は空回りし、何が起きたかも解らなければ、どうすればこの事態を打開できるかも解らない。横を見れば見る影もない姿のナンサーラが転がっていた。
「お前では俺に勝てないし、敵にもならん」
「ふざけるな!神都で第2位の私にこんな事をして許されると思ってるのか!」
少しだけ間を置き、新月丸は地面に横たわるケプシャルの胸元を踏みつけた。
「力有る者は力無い者を、どうしようが自由なんだろ?」
それはそうだ。
だからケプシャルは今まで多くの人や動物を好き勝手に使っていた。
奪いたければ奪い、蹂躙したければ蹂躙する。
「それなら俺がお前をどうしようが自由ってわけだ」
ケプシャルは今になってやっと気付く。
———この王は只人でも無ければ非力なバカでもない
手足の再生も本来なら可能である。
しかし、いくら治そうと試みても全く手足は戻らない。
「手足を生やそうとしても無駄だぞ」
「!!!」
「ついでに言うと、その剣ももう塵クズだ」
「!!!」
どうしてこうなった?
いくら考えても原因が解らない。
考えは纏まらず、走馬灯のように過去映像が脳内を回る。
今まで他者へしてきた、遊びの数々が頭を埋め尽くす。
少し前、奴隷へ適当な難癖を付け、暇潰しに手足を切り落として遊んだ。手足がなく逃げられない奴隷に殴る蹴るに加え、焼きごてを当てたり身体の穴全てに異物を詰め込んでもやった。許しを乞う姿を嘲笑って見ると、己の地位を強く認識できて愉しい。
今、自分自身がそれと似た状態であることに気付いた。
同時に絶望と恐怖、そして激痛を初めて知る。
「ちょっと待て、今ならまだ間に合う」
「……」
新月丸は無言で見下ろす。
「私の身体を元に戻しハーゥルヘウアィ・ララへ丁寧に送り届ければ許され……」
そこまで言った所で新月丸の足先が、ケプシャルの口に捻じ込まれていた。
新月丸の靴は先端に金属が埋め込まれた安全仕様。
恐らく、ケプシャルの歯は何本か犠牲になっただろう。
「丁寧に、とはいかないが、お前は俺と共にハーララへ行く」
痛みと屈辱にまみれたケプシャルは新月丸を見る。
「俺はな、お前の主に用があるんだ」