窓がガタガタと振動を始める。
普段は聞かない異質な轟音が遠くから近づいてきたからだった。月光国の城は音の発生源からはまだ随分、離れている。そこからでも窓が震えるのだから相当、大きな音なのだろう。
この世界には音量を測り、デシベルという数値で表すような仕組みは無いが、数値化するのなら100デシベル以上あるかもしれない。
クレアが窓から外を見ると、遠くに明るくオレンジに光る球体が見えた。
側にいるタロウもまた窓を見ている。
「これは…攻めてきた、と見ていいわ」
覚悟を決めたようにクレアが言った。
タロウはクレアの横顔を見て無言で頷く。
攻撃がどういった種類のものか正確に把握は出来ないものの、炎の玉が猛スピードで飛んできた、といった感じだ。その証拠に窓からは薄く熱を感じる。
位置から考えると、城の高い位置に当てるつもりだろうか。
「先ずは城を大きく破壊し、威圧する気のようね」
「その後に何か仕掛けてくるのでしょうか?」
重い空気の中、そこで会話が途切れた。
他の官吏は先に地下室へ避難をしてもらった。
そこに内側から鍵をかければ中の者が逃げる時間を稼げる。
しかし、便利係の嫌雪は残ると頑として譲らず、今も正門脇御用口に待機していた。
「不安になった民や、あの国の使者が来るかもしれませんからね」
そう言って地下への避難を拒むと、自分の仕事場へ戻っていったのだ。
不安気なくそれを言える嫌雪は、豪胆だとタロウはその時心底思った。
———クレアは窓から目が離せない。
窓から見える炎の球体は目視で10センチくらいに見えていた。
11センチ……12センチ……どんどん、大きくなる。
ぶつかる迄に近づいたら、どれくらい巨大なのだろう。
落ち着いて見えるが、クレアの心の中にも不安は渦巻く。
「タロウ、あなたも避難していいのよ?」
「ご冗談を……私が先輩を置いて逃げるわけがないでしょう」
熱を纏う球体は既に目視で60センチほどの直径に見えている。
それでも、まだ距離がありそうなのだから、大きさは相当だ。
僅か数秒でもう、窓一面がオレンジ色で覆われ、眩しい光が部屋を照らす。
(これが直撃したら城の上部に当たったとしても、無事では済まないわね)
クレアもタロウも口にしないが、死の覚悟を決めている。
「2人ともちょっと、こっちに来てくださいっす!」
不意に聞こえた声に驚き振り返ると、そこにはティールとドラリンが居た。
「どうしてここに?」
「今はそんなの後回しっす」
窓を背にティールのほうへ向かう。
「僕の体が小さくて恐縮っすが手を繋いで輪を作って欲しいっす」
「どういうこと?」
「ここ4人の気配を徹底的に消すっすよ」
実はティールの隠密スキルは凄い。
例えば、物を失くしそれを探している時。
目の前にあるのに気付かない現象が人には起きる。
目の前に在るのに、存在に気付かない。
ティールはそれを自分の意思で引き起こすのだ。
能力を徹底的に探知へ振り切っている者や、凄まじい魔素値を持つ者なら、それも見破るかもしれない。しかしティールのそれは、ティールを作った人譲りの力を持ち、簡単には見破れない。
「ここで手を繋いでいて、あの攻撃はどうにかなるんですか?」
タロウが冷静に問うが、その声は僅かに震えているように聞こえた。
それに対し、いつもと全く変わらない、のんびりした口調が返ってくる。
「あの球体を僕の力でどうにかするのは無理っす」
「……」
「……」
「……」
クレアもタロウもドラリンも無言でティールを見た。
そんな中、窓どころではなく建物が大きく振動をしている。
もはや窓は眩しい光を発するだけ。
ガラスが割れないのが不思議なくらいだ。
どこかの世界では隕石が落ち生命がほぼ絶滅したと言う。その隕石がどれほどの大きさなのか、クレアに知る由もないが、仮にそれがここに落ちてきたのなら、こういう音だろうと思えるような轟音が耳に刺さる。建物の振動もまた、凄まじい。
クレアもタロウもドラリンも目を固く閉じ、体を硬くする。
———ここで消し炭になるのだろう
ティール以外はそれを覚悟している。
けれども、建物が崩れる音も気配もしなかった。
溶岩のようなものが窓の外側を流れている。
室内は熱いが耐えられないものではない。
「……どうなっているの?」
「手はまだ離さないでくださいっす」
手を離し、窓に近寄ろうとしたクレアに注意をする。
外がどうなっているか気が気でない。
街はどうなったのだろう?
城の状況は?
———嫌雪は!?
城上部に攻撃を受け、熱に包まれている時とほぼ同じ頃。
嫌雪の目の前には1人の来訪者がやってきた。
とても整った顔立ちで所謂、美形である。
綺麗に輝く金髪で、肌の色は透けるような色白だ。
瞳の色は赤に近い紫で一見、優しい眼差しなのに視線が冷たい。
スラリとしていて背は高く、おそらく180センチは超えている。
マッチョと言うには細身だが、筋肉質で鍛え上げられた身体つき。
手には真っ赤に光り熱を放つ剣を抜き身で持ち、殺気を漂わせる男。
正門脇御用口には受付の机と椅子がある。
嫌雪はそこに座りいつも通りの客人対応をした。
「こんにちは、お客人。今日は月光国へどのようなご用向きでいらっしゃいましたか?」
殺気と熱を放つ男に対し、声の震えもなく堂々と対応をする嫌雪に対し、目の前の男はとても厭な表情を向けている。そして、ここまで来る間に街を燃やし尽くす予定だったのにも関わらず、燃えない街にも酷く気分を害していた。
「何故、この国の建物は私の熱で燃えない?」
普通の客人は、そんなことを聞くわけがない。
しかし、それを聞いた嫌雪は堂々と答えた。
「耐火性能を高めているのだと思います」
実際の所、嫌雪も燃えない理由を知らない。
正門脇御用口に居る便利係の仕事には関わりないことだ。
「お前は何者だ?」
目の前の男は苛立ちを隠さず問いかけた。
「私は月光国正門脇御用口を預かり、便利係の役職をいただく者です」
苛立ちに気付いているが、嫌雪は何も気にせず回答をする。
「私はそういうことを問うているのではない!」
ついに怒鳴る一歩手前の口調に変わった。
「では、何を聞きたいのでございますか?」
嫌雪とて怖くないわけではない。
ただ、あの時に死ぬはずだった命だ。
それなら新月様の為に最後まで使いたい。
今更、こんな横暴な来訪者に国を混乱させられたくない。
恩義に報いる為にも、恥ずかしい最後だけは迎えてはならないと心に誓っている。
ここで絶命し、例えそれが消滅死であっても悔いはない。
その男は語気を荒げ嫌雪に詰め寄ってきた。
「何故お前は私の前で、椅子に座って話をしている!」
「ここでの仕事では普通のことでございます」
「便利係とやらは、この私より位が高いとでも言うのか!」
「あなた様の国の位と月光国の位の在り方は異なるので、私には解りかねます」
目の前の男の苛立ちはもう限界なのだろう。
「エスターゼ・ラニサプ様の次に高い位にある私の前で、何故、頭を上げていられる!」
そう言われても嫌雪はその者を知らない。
「エスターゼ・ラニサプ様、という方を私は存じ上げません」
ここでケプシャルは我慢の限界が来た。
「その名をお前如き下賤が口にするな!」
剣を振り上げる。
それと同時にとてつもない熱を放つ。
(これは切られる前に燃え尽きてしまう……)
交わせないし受け止められない。
消滅死の覚悟を決め、冷静に思考を巡らす。
せめて消滅するその瞬間まで、目の前の男から視線を逸らさないと意を決し、眼前の男を見据えた。
剣に一番近い髪と顔の左側に、凄まじい熱気を感じる。
恐らく、毛の一部は焼けてしまったのではなかろうか。
(新月様、先に消える事をお許しください)
その時———
「待たせたな」と聞き慣れた声がする。
同時に辺りに充満した熱は瞬時に収まり、嫌雪めがけて振り下ろされた剣は声の主に受け止められた。